大塚愛と関係ないブログ

Sunday, February 26, 2006

青木の青白い顔

しかるに、今青木の青白い顔の上部に爛々として輝いている目は、この娼妓志願者のその時の目とあらゆる相似を持っていた。彼は青木を恐怖し憎悪した。が、その深刻な、激しい人間的苦悩の現れている瞳を見ると、彼はその心の底まで、その瞳に貫き通されずにはいなかった。しかもその青木はつい六、七年前まで、彼の畏友であり無二の親友であった。雄吉は、その瞳を見ると、今までの心の構えがたじたじとなって、彼は思わず何かしら、感激の言葉を発しようとした。が、彼の理性、それは、彼の過去六年間の苦難の生活のために鍛えられた彼の理性が、彼の感情の盲動的感激をぐっと制止してくれた。彼の理性はいった。「貴様は青木に対する盲動的感激のために、一度半生を棒に振りかけたのを忘れたのか。強くあれ! どんなことがあっても妥協するな」彼は、やっとその言葉によって踏みとどまった。「僕は、一週間ばかり前に上京したのだが」と、青木はいった。彼の目付とはやや違って、震えを帯びた哀願的な声であった。が、雄吉は思った。青木のこんな声色(こわいろ)は、もう幾度でもききあきている。今更こんな手に乗るものかと思った。が、青木はまた言葉を継いだ。「実は明日の四時の汽車で帰るのだ。今度僕は北海道の方へ行くことになってね。今日実は君に会おうと思って、雑誌社の方へ行ったのだが……」と、いいかけて、彼は悄然として言葉を濁した。雄吉は明らかに青木が彼の憐憫(れんびん)を乞うているのを感じた。雄吉と同じく、極度に都会賛美者であった青木が、四、五年振りに上京した東京を、どんなに愛惜しているかを、雄吉はしみじみ感ずることができた。が、一人も友達のなくなった彼は、深い憎悪を懐かれているとは知りながらも、なお昔親しく交わった雄吉を訪(おとの)うて、カフェで一杯のコーヒーをでも、一緒に飲みたかったのであろう。雄吉は、青木のそうした謙遜な、卑下した望みに対して、好意を感ぜずにはおられなかった。が、そうした好意は、雄吉の心のうちに現れた体裁のよい感情であった。雄吉の心の底には、もっと利己的な感情が、厳として存在した。「明日の四時に帰る。しかも北海道へ」と、きいた時、彼は青木の脅威から、すっかり免れたのを感じた。明日の午後四時、今は午後二時頃だからわずかに二十六時間だ。その間だけ、十分に青木を警戒することは、なんでもないことだ。今ここで、手荒い言葉をいって別れるより、ただ二十六時間だけ、彼の相手をしてやればいいのだと思った。否、あるいはその一部分の六時間か七時間か、相手をしてやればいいのだと思った。

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